年賀状は出したくない

会社から年賀状が毎年来る。

 

厳密には社長から来る。

 

2019年も送ってくるのだろうか。

 

ぼくは社長以外に出す人がいただろうか。それくらい出す相手がいない。

 

「年賀状出すの面倒なので、ぼくには出さないで下さい」と言うか、

相手が出してきてもこちらからは出さないでおこうか。

こっちが出したのだから、あなたも送りなさいというのは善意の押し付けだと思う。

出す、出さないの決定権はぼくにある。

 

会社に入社した数年は、得意先に送っていた。

今思えば何をしていたのだろうと無念である。相手からは当然年賀はがきは来ない。

少しも時代の変化に対応していない。昭和の価値観が濃く残っていると思う。

しかし、上司に言われたから書いたとはいえ、手を動かしたのは紛れもなく自分自身なのである。反省。

 

今年の年賀状はプリンターのインクがもったいないので印刷しない、手書きで書いた。

 

年賀状プリンターも淘汰されていくものである。

 

年賀状のためにしか使われないというのに、うまいこと各家庭に入り込めたものである。感心する。

 

郵便局員が年賀はがきを自爆で購入するようなニュースもある。

 

ブラック労働の類なのではないだろうか。

 

購入枚数が少なかった場合には買い取ってもらうという契約があるならまだしも、そういう取り決めは行われていないと思う。

 

郵便局員に思いをはせても仕方がない。

 

彼らもまた、自爆を断ることができたはずである。

 

断っても、勤め人だから給料は出ているはずだ。

 

年賀はがきを売ったとか売ってないとか、そういう成績がインセンティブになりうるのだろうか。年賀状は早く淘汰される文化になるべきだ。

 

素晴らしき日本文化と悪しき日本文化。

 

悪しき日本文化は表向きのウケのよさに隠れてすくすくと育ってしまった。

われわれもうまいこと乗せられていたのであろう。

 

素晴らしいものはこのまま世界に発信されるべきだし、悪いものはなくなっていくべき。単純なことなはずなのに。

 

有名芸能人をCMに起用したところで、年賀状を出す人が減るのは止められないと思う。

しかし、CMをばんばん打ち出すことで売り上げに繋がるのだろう。なぜならテレビを見ている多くは昔から年賀状を出すことが普通だった高齢者だからだ。

 

相手の思うがままに行動することが、自分の財布からお金が出て行くことになる。

最悪、時間も奪われるのである。年賀状のイラストとかもうどうでもよくないか?