”自分のことは自分で”という呪縛

自分でしなければならないことが多いから、労働時間が長くなってしまう。

今日も帰りが遅くなった。

 

自動化というか、人に任せられるようになると多少は楽なのかもしれない。

 

しかし皆精一杯なようで頼めるような雰囲気ではない。

 

そもそも自分のお客さんの分なのだから、自分でやるのが筋ではないか。

 

自責の念か、あるいは人間不信か。自分でやった分であれば自分の責任で尻は拭けるだけ拭こうという気になる。

他人のミスでも結局自分が尻を拭くのだから、はじめから自分でやったほうがいいのではないか。

 

自分のことは自分でやる。結局こうなる。

 

わたしはわたし。あなたはあなた。

こういうのだと、人に干渉しようと思わなくなる。

ぼく如きが、他人に口を挟めるような人間ではない。

踏み込んで、いい変化が起きればよいが、他人は変えられない。

変わることができるのは、自分だけだ。

 

仕事を自分で抱えすぎな状態だと、いつか破綻するかもしれない。

まあいつでも今の仕事を辞めてもいいという気持ちはある。

蓄えはあるからしばらくは食っていける。

限界突破のようなことは起こることはないと思う。

起こるとしたら、捌くスピードが多少速くなるだけである。

 

人に教えるということから逃げていると考えられる。

教える時間を惜しんで、自分でやったほうが早いと思っている。

人との関わりを避けているから、教えようとしないのである。

できる人が増えないから、自分でやっている。

教育者ではないが、役職がつくなど昇進が絡むようになると

”そういう教育することが給料に入っているんだぞ”

と上から言われるようになる。

 

下っ端で自分の担当で手一杯な感じを出していると、そういうことから距離を置ける。

ぼく自身は昇進に興味はなくなった。

役職手当てが増えても、きっとしれている。

さくっと帰れるようになりにくくなることは、近寄らせたくはない。

別の人を差し出せるといい。

役職にある種の価値を置いていると、年とっているのに大した役職もにないと見下されることだろう。

だが、○○代理とかいう役職はつけてもあまりうれしくはない。

いっそないほうが気が楽であろう。

 

処理速度も大事だが、区切りをつけて明日でいいことを決めることが自分にとっていいことだ。今日しなければならないことはしてさっさと帰ろう。