なんとなく生きていては、勤め人になるルートしか残されていない

ここ数日職場の近くの学校では運動会の練習をしている。

 

運動会で使う音楽が仕事中の事務所に流れてくる。

 

学校の先生は尊い仕事だなあと思う。

 

一方で、小学校が勤め人養成所の第一ステージという気がして仕方がない。

 

ああ洗脳されていくんだな、彼ら彼女らはと思わずにはいられない。

立場、状況的には先生の言うことに従うしかないよな・・・。

とむなしくなりながら、抱える仕事に取り組んだ。

 

いい成績をとって、

いい学校に入って、

いい会社に入って、

 

というのがいい人生という使い古された金型だ。

 

この金型に人間をはめ込むために学校教育がなされている。

 

”所得の中で勤労所得が一番税金を得られるからではないだろうか。”

 

今日はそんな陰謀がこの社会を覆っていることと考えてみた。

 

勤労所得

ポートフォリオ所得(キャピタルゲイン、運用益など)

不労所得(印税、著作権益、不動産からの収入など)

 

3つの中で勤労所得が税金を抜き取られやすい。

まず天引きがあって、残ったものが勤め人の使えるお金だ。

反対に、不労所得は使った後残ったものに税金がかかる。

 

”起業したってリスクが大きい”

”投資に伴う借金が怖い”

”お金を節約することは美徳だ”

 

こんなイメージがいつの間にか脳内に刻まれている人で多数を占めている。

 

このせいで勤め人になるルートしかないと勝手に個々が思い込んでいると思う。

 

だから一度親とか先生とかから開放される必要があるのではないだろうか。

 

外からインプットされる内容が時代に即しているとは限らないからだ。

 

就活しようと思わせる人材会社に踊らされている。

 

就活解禁で東京ビックサイトが満員になった映像を毎年見てきた。

 

自分では考えているようで、型にはめられた現実のなかで動いているに過ぎない。

 

なんとなく周りがしているから就活している人、していた人はいるだろう。

 

現実の枠を広げるために一度思考をリフレッシュする必要があるのではないか。

 

”起業するな”とも、”勤め人になれ”とも言われなかったはずなのに、”右向け、右。”とか”前にならえ”と運動会で刻まれることで身動きがとり辛くなっている。