好き嫌いで動く大人たち

今日の労働時間の中で人的資本のプラスになるようなことをぼくはできただろうか。

 

何かを毎日足していく日々が続かないと人的資本にとってはマイナスになる。

 

老化というマイナス要素に負けないプラスの要素を自分で作っていかねばならない。

 

人的資本を増強したら、今の勤め先でなくとも雇ってくれるところを見つけやすくなる。

もっとも今の勤め先に不満がないならそれにこしたことはない。

ずっと同じ部署のずっと同じ仕事をしていれば処理速度が速まり、定時退社をしやすくなる。

 

とはいえ、何か聞かれたときにカタログを都度開いて確認し、折り返して回答するという流れが大半だ。自分の頭に入っている仕事上の知識はそれほど大した量ではないのかもしれない。

 

でも入った知識が古かったり間違っている可能性があると思うと、カタログなどを調べて正しい回答をしたほうがお客さんに誠実といえる。急かしてくるお客さんはお客さんではない。自分の都合ばかり押し付けてくるようなお客さんを駆逐したいが、勤め人である以上それはできない。耐えるしかないのだ。お客さんを切るには経営者クラスの判断が必要だ。

 

早くほしい、早くほしいと幼子のように我侭を言うおっさんどもがうごめく業界だ。

いい加減にしてほしい。こちらも怒りを抑えながらはい、はいと手短に返事をする。嫌われる勇気を読んだ人である以上、コントロールできる感情はコントロールしておきたい。急かしてくる人に対して気分良く接することができる人などいない。相手のペースに飲まれてこちらもミスを誘発してしまいそうだ。

 

急かされている時ほどゆっくりであるべきだ。”いつでもいいですよ”と言ってくる人と、”すぐ回答がほしい”という人がいたら、前者のほうが接していて心地よいだろう。

はよはよ言ってくる人は、その前の工程の人からそう言われている場合が考えられる。

急かしの連鎖だ。どこかで負荷がかかっていたり、ミスが起きたから早急な対応を相手に迫るのである。言われる側はたまったものではない。

 

しかしながら、勤め人はどんな形であれ急かしてくる人にも応えなければならない。

断るなという指令が飛び交う。どれだけうっとうしいお客さんでも(お客さんとよべないかもしれない)対応をしなければならない。

 

結局は人である以上、人を見てしまうのである。好き嫌いで動いてしまうのである。

好き嫌いをするなと大人に言われる子供たち。言う大人のほうがよっぽど好き嫌いで生きているではないか。

他人の課題には介入しない

ぼくはぼくの課題を解決するべきであって、ぼくが他人の課題に干渉することは使命ではない。

 

他人の課題は他人が解決するべきものである。

 

ぼくがそれを抱えたら、自分で自分を苦しめることになる。

 

ぼくがその人になってほしい理想像などをぶつけてはいけない。

その人にはその人の理想があり、分離されてしかるべき。

 

親族同士でも同じことだ。

 

ぼくが介入したところで、本人が今の状況から脱出したいと思わなければ意味がない。

自分は変えられるが、他人は変えられないのだ。

 

だから、ぼくはぼくのやることをやるしかない。

他人のことより、自分のことを心配したらどうだ?

 

他人がどうしようもない生き方をしていたとして、ぼくがそれを咎めても意味がない。

その人の生き方なのだから、ぼくがどうこう言うべきことではない。どれだけその姿がぼくをイライラさせるものだとしても、それを怒りという感情に任せて相手にぶつけても意味がない。

 

イライラする、怒りの感情はコントロールできる。

大声で怒鳴る人は、大声で相手を屈服させるという目的があるから怒りを前面に押し出すのである。(目的論的に考えることは、本に書いてある内容だとすっと入るが、日常生活での事象に応用できていない。)

 

他人に対してイライラするということをやめよう。

その人はその人なりに一生懸命生きているはずだ。どこかに現状を打破したいと思っていようが、現状を受け入れることが自分のためになると思っていようが。

どちらにせよ自分が置かれて環境を受け入れてそこからどうして行くかということになる。今の環境は誰かのせいでこうなったとか他責で考えていると一生前に進まない。

 

与えられたものをどう使うか。

みんな使用可能な武器と武器レベルは他人と違うはずだ。

だからこそ一芸に秀でた人がネットやテレビで人気を集める。

自己分析ができているということではなかろうか。

ぼくの中にも、これだけは他人に負けないものや平均よりも秀でた能力というのが何かしらあると思う。

そのちょっと人より高い武器と別の武器を組み合わせれば差別化につながると思う。

 

今からどうしていくかが重要だが、今の置かれた原因を過去に求めても仕方がない。しかし”何が自分にはあるだろうか?”と考えるときには過去を振り返ってみてもいいと思う。

 

停滞した人生で終わりたくはない。一つ一つ課題を解決していくしか前に進めない。

都会のひとたち

予約したイベントごとには前日に事前準備をする。

 

初めて行くところにはどう行けばよいのか、当日スムーズに到着できるようにあらかじめ現場に赴く。

 

梅田のダンジョン。特に迷うことだろう。

 

ただ問題なのは定時に速攻で退社して梅田に着くまでだ。

 

約束の時間に間に合わないということがあれば始まる前から自分の信用に傷がつく。

そこはダッシュし続けて何とか間に合わせたい。

 

梅田付近はタクシーの量が多いなど交通手段がいろいろあるが、

ぼくは地下鉄での移動がいいと思っている。時間に余裕があるときは南北を徒歩で移動することが多い。

道路は渋滞していることが多いからタクシーでうまくいく気がしないのだ。

時間とタクシー代の両方失う可能性が十分ある。

 

今日のシュミレーションで事前にどう行くかを頭に入れて、自分の中での最短ルートを構築。うまくいくかどうか、退社時間にかかっているところが大きいが。。

 

梅田はガチャガチャしているような、大都市ならではの空気が漂っている。

まず街がうるさい。都会はどこでもうるさい。

自動音声が大音量で流れ続ける。宣伝カーも多い。

耳障りで常に人々の集中力を欠く。こういうのを狙って思考力を落として適切な判断を妨げているとしたら相当な策士ではないか。

 

ラーメン店が多い。

これはちょっと前のぼくなら新規開拓でいろいろ食べに行ったかもしれない。

それだけ多くのそそられる店が並んでいる。

いまではそこまで行く必要もないかと思う。

ラーメンにはまると健康的にはあまりよろしくない。

肉か魚。こちらを食べて行きたい。

 

電車内にもいろいろな人がいる。

始発駅からだと、空いている座席が多い。

そこに4つほどのスーパーの袋をもったおじいさんが乗車。

席にすべての袋を置き、何かを探している様子だった。

ぼくは特に何もせずに向かいの席で本を読んでいた。

関わるべき相手でもない。関わりたくもない。人は変えられないという考えの下、ぼくが注意しても聞くような相手でもなさそうだし。

 

どういう教育を受けて、どういう生活をしていたらあれだけの荷物を席に広げられるのだろうか。そういうことを考えていた。傍若無人という言葉がぴったりだった。

 

いろんな人がいる世の中、ぼくはぼくで進むべき道を進むほかない。

 

 

休暇は世界を拡張させる

今日は休みであった。

 

街ブラをすることができた。

 

平日の昼間にブラブラできる生活はやはり素晴らしいものであると実感。

 

勤め人はこういう時間を土日にしか捻出できない。

土日の街しか知ることができない。

これは自分の街の姿が半分程度しか見ることができないような気がする。

平日自分の街が一体どんな顔をしているのか、勤め人ではわからないのである。

平日昼間に文明を享受できる人が豊かな証ではないか。

 

観光地ではほとんどが外国人である。

日本の人よりも観光客のほうが多いのではないか。そんな錯覚を覚える。

ちょっと中心地から外れたところでも、観光している外国の方はちらほらいた。

日本人でも若い人がちらほらいた。

昼間からブラブラしていてなおかつ若いとなると、昔はフリーターとか学生なのかな?とか思っていたけど、今は何か経済基盤を持っているのではないかという目に変わってしまった。人は見た目にはよらないというから、どんな人が立派な基盤を築いているかわからないものである。

 

平日昼間の電車の中も普段なかなかいることはないだろう。

おじいさん、おばあさん、おばさん、おじさん、観光客である。

おばさんが優先座席でかかってきた電話になんのためらいもなく応答するような車内であった。もう少しモラルを持ってくれてもよかったのではないかと思う。マナー知らずのあなたに育てられた子が仮にいたらその子がかわいそうだなーと思った。

 

ぼくは特にその人を注意することなく目的の駅で降りた。

 

昼間から人は意外と街にいるものだなと。

勤め人の生活圏がいかに狭いかを思い知らされる。

懲役だから仕方ないか。事務所という名の独房である。そこに自由があるはずもない。

懲役から解放された後の空気、それは自分の知らない昼間の街で吸える空気なのかもしれない。

 

自分の世界を拡張させるために、休暇をとるべき。

耳からインプットすることが毎日を豊かにする

一瞬の気の緩みが、破滅を招くことがある。

 

自動車の運転は目や頭がバッチリでない状態でしてはいけない。

 

自動車というだけでこちらの負の割合が大きい。

 

止まれの標識を無視して自転車が飛び出して来ようが、

子供が飛び出して来ようがこちらが割りを食う。

 

そんな一日であった。もう少し速度があったら相手とぶつかっていたかもしれない。

何事もなく今ブログを書いていることがある意味奇跡である。

 

車を使う営業は、そういう精神的にも肉体的にも悪い面もあるがいい面もある。

(運転しすぎたなーと思ったら休憩したほうがいい)

 

いい面とは、ひとりになれるということだ。

車にひとりでいられる環境は、内勤業務では手に入らない。

オーディオブックやラジオが聞き放題である。

 

耳からインプットすることが今後注目されると思う。

今まで好きな音楽とか聴いていた人もインプットに充てるようになるだろう。

それだけ時間が限られているということだ。

大人になれば勉強する時間をどこかで捻出しないと自分のレベルが上がらない。

仕事の経験値以外にもどこかで経験値を獲得しないといけない。

子供のときよりもレベルアップに必要な経験値は多いだろう。

 

発信する側の人がつくづくすごいなと思う。

スポンサーのあるなしあるが、Voicyをはじめとした音声コンテンツ。

そこでのパーソナリティはみな稼ぎたい目的で毎日発信していないだろう。

伝えたいという思いが一番強くないと続かないと思う。

 

その発信にあたって、みんな今まで読んだ本や人との関わりのような自分の背景知識がたくさん入っていると思う。

発信する量が豊富な人ほど、それまでのインプットがかなり行われている。

 

発信する人がいて、その内容に刺激をもらって、毎日が充実した方向へ向かっていく。

その発信側はSNSの普及でみんなができる。そして誰もが聞き手の心を揺さぶる力を持ちうる。

いい時代だなあ。

やることやって帰る

勤め人の仕事で意識しなければならないことは、自分の資産になることをするということだと思う。

”何やってんだ、俺・・・。”みたいな虚無感を覚える雑務に時間をとられないようにしよう。もしとられても、処理速度を上げて早くいい仕事をしよう。

 

お客さんに対しては、納期・価格の交渉、商品の紹介などがある。

仕入先へのは納期・価格の交渉、商品の問い合わせなどがある。

どちらも立派な資産になりうると思う。自己資本の増強だ。

 

営業である限り売り上げ、粗利は詰められるのである。

未達の場合怒られるが、仕方ないことである。世の中自分でコントロールできないことのほうが多い。

会社のために必死こいて仕事するのではなく、ほどほどでいこう。

残業代が出せないのなら経営者は残業させてはならないし、残業する動機もない。

 

 

自己資本の増強が転じて周りから仕事できるやつとみなされて出世コースを敷かれる可能性はある。

勤め人の山を登った先に何があるというのか。

大企業の出世争いでもあるまいし、中小企業であればなお出世に関心は持つべきではないだろう。人はどの道足りていないのである。なんだかんだいって労働市場からうまいこと労働力を調達するものだ。

 

毎年人を採用する体力もない。

新入社員を雇うということは経費が増えるわけだ。

募集する時点で、その辺の赤字を掘る覚悟はあってしかるべきだろう。

営業に増えた社員の分の利益も稼いで来いというのはどうなのか。

 

ぼくはぼくのやるべきことをやり続ける。

それでいいじゃないか。

助け合いも大事ではあるが、一生その企業に奉公するつもりならそうすればいい。

これから勤め人であり続けることがますます困難になっていく。

老化と共にフットワークは重くなるだろう。飼い殺しの状態にはなりたくない。

武器レベルが上がることによって知識ベースの質問であれば回答スピードは早くなる。

 

 

武器レベルを上げて、回答するべきことをササッと答えて、サッと帰ろう。

本は世界を拡張させる

勤め人は、合理的に考えれば早く帰るに限る。

 

嫌われる勇気を発動してでも、帰る。

 

早く帰るためにどうすればよいのかと、思考をめぐらす。

サボリーマンとは紙一重になることは覚悟したほうがいい。

社内評価などいらぬ。どうせ年功序列なのだから。

ぼくのような末端が昇進したとして、手当てがどのくらい増えるのか。

増えたとして、仕事の量も比例して増える。

割りに合うような気はしない。パワハラするようなやつでも年をとっていれば給料がぼくより高いのは仕方がないことだ。そこは受け入れるしかないのである。

 

どれだけ若い社員が優秀でも、年寄りの社員より給料が高いということはない。

完全に成果主義の会社ならそうでもないのかもしれないが、ほとんどの日本の企業は家族を養う分の給料を年寄りの社員に渡している。

 

この構造を知らないまま、若い社員は働いているのではないだろうか。

少なくとも一定数いると思う。

社長に、自分の給料はどうやって決まるのか?と聞いたところで真の回答がもらえるとは思えない。建前でガードされておしまいだ。

 

だから本を読んで自分で見つけるしかないのかなあと思う。

本を読むことで自分の世界は拡張される。

勤め人同士の会話から拡張されるよりもはるかに費用対効果が高い。

 

本を読むこと意外には、音声メディアや有料の情報だろうか。

SNSもある。手段はいろいろあるというわけだ。

無料のネットニュースは、目的がクーポンとか別のものになっていないか。

広告が画面に貼られて、心地よいインプットができているだろうか。

 

いろいろ拡張するための手段があるにもかかわらず、勤め人同士の会話が何年たっても変わらないのは、インプットする時間が確保できていない人が大半だからなのではないか。高校、大学の人どうしでも、”あいつ今何してる?”という話が今日もどこかでされていると思う。自分の心配をせよと自分に喝を入れたほうがいい。連絡がとれていない人の現状をしるということに、生産性は皆無なのである。

 

だからインプットし続けられるだけで、そのマジョリティから抜け出すことができる。

さらに学んだことを発信することができればより少数派の集合に属することができる。

 

インプットし続ける、発信し続ける、これ!と思ったものを続けることは大切だ。