変拍子日記

不定期な日記

勝手に休みたい

”有給休暇を取得する際に会社の人に謝る必要のない社会を作れ”

headlines.yahoo.co.jp

なんて記事がYAHOO!ニュースにあった。

 

欧米に比べてまだまだ日本の労働環境は劣悪なのだろう。

 

明日(もしくはそれ以前に)休みますと申請すればOKというようなフランクでカジュアルでゆるふわな雰囲気は確かにぼくを雇用している会社に存在しない。

 

だれかがいなくても回るように、まわせるように普段から仕組みを、制度を整えておくべきというのが経営者の務めなのである。

 

だれかが、その人がいなくては仕事が回らない。まして複合機やプリンター一台が調子悪いだけでやってらんねえってなっている今の状況は最悪なのではないか。

 

こんなにもぼくのいる会社は脆いのかと絶望した。

 

プロは同じエフェクターを2台持っていますと、ACIDMANのライブDVDを見ていたら大木さんが言っていた。

 

ぼくらはまだまだそのくらいのこともできていないということだ。何かが壊れてもまだこれがあるとか、誰かがいなくてもこの人がいるみたいな環境にできていない。頼みの綱が細すぎて握ったら千切れてしまう。社会全体が既にそれくらいのタフさなのだと思う。

 

今の働く環境を早急に変えるか、ぼくのいる環境を変えるか、そのどちらかしかないのだろう。会社に垂れたその細い綱にいつのまにか依存してしまっている。

 

人は一人で勝手に助かるだけだというのなら、会社を休むというのもその人が勝手に休むだけだくらいのものでありたい。休むことを申請しにくい、周りに迷惑をかけてしまう。休んでいるあいだに何か起きたらどうしよう。なんて考えてもしょうがない。そんなことを考えてリフレッシュできなかったら、申請した意味がないではないか。

 

休んだときに何かあったら、それは運が悪かったとしようではないか。

 

自分が休んだせいだと罪悪感を持つ必要はまったくない。

 

いっそストライキくらいのものになればいい。みんなで休めば怖くないだろう。それなりの影響力を持つだろう。それくらい休みに対してもっと向き合うべきなのである。働きすぎといわれているくらいなのだから。

 

寝ていたい

ACIDMANの埼玉スーパーアリーナでのフェスに参加できそうだ。

ありがたい。千年先といわずに、もうすぐきっと会える。

 

参加するにあたって、年次有給休暇を発動できるかどうか。

関東遠征を満喫するためのターニングポイントだ。

発動できなければ日帰りだ。それは悲しい。

 

 

 

時間がほしいと思うことが増えた。

会社に雇用されて働くというのは一度はまればなかなか抜け出せない。

沼に沈むかのように行動が制限されていく。働いて無性に金を使ってバクバク食べたり消費したりすることでストレス発散する人もいるだろう。しかしそれでは”金を使った、金が要る、金を稼ぐ”という堂々巡りから抜け出せない。このループワールドから抜け出すことは、資本主義に振り回されない生き方としてもっと広がらないだろうか。抜け出せないから同じ会社に居続けてしまうのではなかろうか。

 

会社側は労働者が抜け出さないようにわざと社内ルールとかで縛りをかけているとさえ勘ぐってしまう。

 

休日は寝ていたい。ましてこんな暑い時期だから外に出るリスクというのは割り増しであろう。インドア派は家で何もしなくても不満ではない。横になることで欲求が満たされるのだ。

そればお金を無駄遣いせずにすむということだ。

消費しろしろと煽る広告に対する抗議の戦術でもある。目を閉じて寝ることで、余計な情報をシャットアウトできる。

 

 

寝て体力回復しよう。夏は気づかぬうちにHPが削り取られている。

 

お疲れさまは

お仕事お疲れ様です。

 

お 疲 れ 様 で す 。

 

この言葉を聴く、見るたびに疲れが増さないだろうか。

 

支店の人とかに連絡を取るとき

誰かが退社するとき

 

サークルでもすでに使っていた。バイトでも使っていた。

 

疲れ に対して お を付けたりですます調で表現して、そこまで偉いのか疲れというのは。

 

 

さようならという言葉が減って、お疲れ様ですが増えている気がする。

 

さようならって最近いつ言ったっけ。

まあこの言葉のポジションにはバイバイやまたねとかカジュアルな表現が代わりにある。

 

さようならには少し冷たさが宿っている気がする。確かに別れの言葉ではあるが次あるかわからないような、ラスト感。

 

昔のブログにはお疲れ様でしたありがとうございましたという締め方だったが、もう辞めておこう。疲れていたのだろう。

 

自分だけは・・・っ!

自分だけはあんなことにならないという全能感。

俺はほかの奴らとは違うという特別感。

他人ごとに胸をなでおろす。

自分に起こらなくてよかったと。

 

でも自分も所詮ちっぽけな一平民に過ぎないという事実。

 

体内を流れる血に刻まれていて、何度も繰り返される気がする。

他人の不幸は蜜の味というのは変えがたい感覚なのだろうか。

 

 

明日死ぬかもしれないと思いながら、週明けの仕事を回すために先日も残業した。

結局死ぬ確立はゼロでなくかなり低く見積もっていても、来週まで生存している提で体を動かしている。

 

 

大企業が住み着く建物も、中の蛍光灯が夜遅くまで光っている。

ああいう中にいる人たちがずっと働いているから、その下請けの人もそのペースに載せられて働く時間が長くなっているのではなかろうか。長生きできると思って。ボーナスや給料をもらえると思って。せかせか働いているのか、働かされているのかはわからんが。

 

大企業の人がさっさと帰れば、下請けの仕事も切り上げられて早く帰れる。そんなトップダウンみたいな構図にはなれないか。

 

大企業が変わらなければ世の中が変わらないというのは大企業の与える影響が大きい所以か。過労なんかで摘発されても、自分の会社でなくてよかったと思うはずだ。そうやって他人事で捉えられると、変化のスピードは鈍くなると思う。

 

 

みんなが自分本位で、自分中心の世界で成り立っている。

そんなに自己中じゃないと思っていても、電話をかけて相手が出なかったらどうしてでてくれないんだ!?とイラッとしたことはあるはずだ。

大体電話に出てくれるという一方的な期待をどうしてしてしまうのだろう。

相手の都合を考えないからだろうか。

確かに相手が何を現在しているのかわからない。

突然着信があっても電話に出られる状況ばかりではない。

 

相手のことを慮ることができていないのかもしれない。

 

 

まあ配慮しすぎると加害妄想になってしまうが。

 

混沌と

1年の半分が過ぎていますねー。

 

今年は素数なだけに混沌とそして着実に国内が闇に包み込まれていくようであります。

 

政治がメディアに、メディアが政治に忖度しているようで。

 

知っておくべき重大ごとほど包み隠され、

 

どうでもいいようなことばかりがテレビに映っている。

 

そんな気がしませんか?

 

この傾向は昔からどんどん強まっている。

 

 

そのせいかテレビから離れることも多くなりました。

 

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

パソコンかスマホの画面を見る時間が1日のどのくらいを占めているでしょうか。

 

デスクワークをする毎日。

視力はどんどん悪くなる一方であります。

 

love があるからpeaceではなくなるというのなら、

 

smile&peaceというのはどうでしょう。

 

みんなが幸せになってほしいし、神社に行けば世界平和を祈るようになりました。

 

誰かが幸せになってほしいといいことを願う気持ちを持っているのは、妬みや

恨みごとを思うよりもずっと自分自身も幸せなはずです。

 

 

”生まれた時点で死ぬことが確定している”というのはACIDMANのライブのMCで聞いたことばですが、死期が近いと常に思えばなんだか相手を許そうという気になってきています。

 

相手のことを恨んでも仕方がない。相手を憎むということは、自分はその人から好かれるということを絶ってしまうと思うのです。

 

自分が死んで喜ぶような人は少ない越したことはないでしょう。

 

明日死ぬかもよという本もあるくらいですし。

 

自分だけは長生きできるという都合のいい思い込みからも解放したほうが、精神的に楽になると思うのは自分だけでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

だろうか

得意先や仕入れ先で辞めていく人が最近多い。

 

事情はひとそれぞれあるだろう。どうして辞めるのかまでは問うことにしていない。

 

 

ようやく働き方改革が骨身に染み出してきたといったところか。

 

 

どうして働かせ方改革ではなく、働き方改革という言葉になったのかは、自分の身は自分で守れよというメッセージが含まれているからだと最近気づいた。

 

 

経営者視点ではなく、被雇用者視点。

 

 

みんなそれぞれ手探りで道なき道を突き進んでいく。

 

人生、政治、経済。すべてが手探りになっているのではないだろうか。

 

先のことはわからない。

 

 

短期的な収益に目線が向いているうちは、世の中よくならない。

 

節電してますよー!と自販機が謳っているが、そもそも設置しなければ環境のこと考えてるなーってなると思う。

 

自販機が当たり前のように町中に広がって、あたかもずっとここにいるじゃないですかーといわんばかり。感覚が鈍っている。

 

自販機がなくなったらどうなるだろう。

 

エライ人にみんな媚びへつらう。

 

エライ人が自販機を置けと指示しているのだろうか。それとも設置を許可する人がそそのかされているのだろうか。

 

人が足りない。

 

コンビニはどこもスタッフ募集ののぼりが立てられている。就活も売り手市場との声が上がっている。

人がいなくてもまわせる店舗になればハッピーになるだろうか。

 

ルフレジ導入。ロボットによるレジ業務。

 

ロボットが仕事をやってくれる。そういう考え方になるだろうか。仕事を奪われると思う人が多いのだろうか。

 

人間だから、未知のものや、慣れきった環境を変えられるというのは少なからず抵抗がある。

 

環境を変えた先に、目指していたものは待っているだろうか。

 

 

 

 

 

先に待つ絶望を知りつつ今を楽しむ

飲み会が無事に終わった。

 

楽しかった。

 

初めは加害妄想のせいでみんな乗り気だろうかとか心配しまくった。けどみんな笑顔でいてくれて企画してよかったと思えた。

 

すきっ腹に酒はいかんと思い昼飯を食べたのが17時ごろでやっぱりこのことがまずかったと思う。お料理が思ったより進まない。

 

お酒はビールがあれば十分だ。

ほかの種類のお酒が飲めないわけじゃないけど、事足りるというか、拘りがない。

 

結婚する人

これからしような人

予定がない人

 

お金、仕事、恋愛。人が集まればこの3つの話題がされないことはない。いろんなものがまとわりつく年頃だ。

ボーナスはみんなもらっているようだ。何ヶ月分とかは差し置いて。

ぼくの勤め先はボーナス支給せざる会社である。最近はもらうために必死こいて働くというようなガッツはなくなっている。ない状況下においてはさっさと定時に帰ることがもっとも合理的であると考える。

 

何にせよ、生きている以上前を向いて突き進むしかない。進む先がどのようなものになるかを選べればよいが。

 

世の中には2種類の人間しかいない。

変われる者と変われぬ者だ。

 

ぼくは今のところ後者であろう。

 

わかっていても、どうしようもない。いや、どうもしようとしない。

ただ知るだけだ。それを阻止する力があるわけではない。

 

この先に待つ出来事をただ直面することしかできないのか?

強い意志がなければ運命は変えられぬ。

 

いやーファイアーエムブレムって名言の宝庫ですな。