テレビは見るときは見る そこは意識的

テレビを見るというのは無駄だという意見が飛び交うようになった。

 

ぼくも見たいものだけ見るようにしていることが多くなった。

 

メリハリは大事だ。

 

見るときは見ていいと思うし、見なければ消して節電するという意識は悪くない。

 

週のうち4,5番組ほどであり、かなり絞られていると思う。

 

無意識にテレビをつけることはやめて、何かほかの事に意識を向けて取り組んだほうがよい。

 

無意識の時間を少なくすることが豊かさへの道につながる。

 

テレビをつけっぱなしにすると不要な欲に駆られることもあるだろう。

 

CMは消費行動を誘発させるようにできているし、番組内もスポンサーの意向が反映されているようにできている。

 

スポンサーにコントロールされているといってもいいのではないか。

 

何より、テレビを見るということは機会費用である。

 

ほかの行動が制限される。

 

ながら運動で筋トレすることは可能だが、本を読むことは効率が落ちる。

 

見るほうに意識が向くから、集中して読むことはできない。

 

本のほうが、身銭を切って情報を得ようとしている分頭に入る。

 

書籍にはスポンサーのような介入者はいないし、著者の伝えたいという熱意が大半を占めていると思う。(本の場合はライターさんや編集者さんがいるか)

 

情報収集にはテレビは適さなくなった。

 

昔はみなテレビを見て育ってきたが、今は細分化されてみんながそれぞれ

異なる情報源から情報を取るようになった。

 

SNS、ネットニュースなどの情報を提供することが個人でも可能になった。

 

自分がフォローしている信頼できるところから情報を得る。

 

自分の求めていないところから余計な情報を得ることを善しとしなくなった。

 

人々の脳内メモリは限られているから、余計なもので容量を使いたくない。

 

それでテレビ離れが進んでいると言っても当然ではないか。

 

テレビが良質な情報を提供できなくなったと見られる。

 

本当に必要な情報が、したくてもできない雁字搦めの状態ではないか。

 

真実を伝えられない、伝えるべきことが伝えられない情報源は必要ないだろう。

 

必要としている情報を提供するよりも、各局が伝えたいことを伝えようとしているように見える。

 

そこにはエゴが蔓延っている。

 

歪曲された情報が電波に乗ってしまうのである。

 

にもかかわらず、視聴率が~とか嘆いているのは、他責にしているのではないか。

 

業界人でもないし一視聴者にすぎないが、そんなことを思ったのであった。